2008年12月12日金曜日

医療崩壊の本質

 現在、私は日本社会で医療を担っていて、具体的には北海道で家庭医療に従事しています。履歴を言うと、基本的には内科医で、専門は呼吸器内科でした。その中でも肺癌とじん肺、さらに突き詰めれば、画像診断と生検のテクニック、ターミナルケア、じん肺と肺癌の関連あたりが、専門と言えそうな分野です、日本旅行医学会の認定医でもありますが。これは一例で、大抵の医師はこのような重層的なキャリアを持っていると思います。その人的資源の融通が効かなくなってきたこと、それが医療崩壊の本質のような気がします。

 なぜ融通が効かなくなったのか? 3点挙げてみます。
  1. マスコミによる報道被害:内部から見ていると、明らかに医療は年々安全になっています。それに反比例して医療過誤報道が増えているのです。まさに医師は河原に石を積み上げる餓鬼同然ですね。根本は、医療が進歩して仕事が増えているのに人的資源がつぎ込まれず、個々の医師が専門を越えて働いていた状態が、マスコミの攻撃で、ある意味当たり前のことですが、専門以外の仕事や専門でもリスクの高い仕事を避けるようになってきたことでしょう。膨れ上がった風船が破れたのです。医療崩壊は早いと思います。プロとして質をあからさまに落として仕事を続ける医者はそう多くはないと思います。そうすると、まずは、アクセス、次に国が診療報酬の大幅なアップをしなければ、患者さんの負担増の順で矛盾が出てくるでしょう。きっとマスコミに対する恨みがあるのは、医療セクターだけではないでしょうが…
  2. 患者さんの医療サービス利用の拙さ:極端な専門医指向だったり、コンビニ医療を要求したり。だけど、これは自分たちの利権確保に明け暮れて、市民への啓蒙や教育界に対する働きかけを怠った医師会の自業自得ではあるのだけど。
  3. 医師のコモンセンスの喪失:医学の急激な進歩とそれに伴う情報の爆発的な増加に伴い、医者ならば、分かち合える共通の体験や感情というのが薄れてきていること。
 3.に関して卒前の医学教育に次の5項目を重視したらどうかと考えている。
  1. ACLS;基本的に医師は命のサポートをしたくて医師になる。細かいことは抜きにして、ACLSは医者の必須スキルにすべきである。
  2. コミュニケーションスキル:まぁ私も胸を張っては言えませんが、理解と誤解は紙一重です。
  3. 科学哲学、倫理学:決定的にこれが欠けているように思う。明治時代に西洋医学を教えに来てくれていたドイツ人の先生が、「日本人は我々が2000年かけて育んできたものの旨いところだけを早急に手に入れようとしている」ということを捨て台詞に帰国したという逸話を読んだことがある。彼らが、2000年かけて育んだもの、それこそが哲学であり、倫理学なのだ。
  4. 身体診断学: お金のかかる設備がなければ、医者を出来ないという医者は、医者でないと思う。医者はどんな環境にあっても、その環境のベストを尽くそうとする、それが医者だと私は思っている。(ベストを尽くすことと、いい結果を得ることは、当然、異なる)ちょっと過激な発言かもしれないが…そういう心構えが、最大の国防だと思うのだが。
  5. 死の教育:産婦人科の先生には、怒られるかもしれないが、生はせいぜい2パターン、下から出るか、腹から出るか。それに比べ、死は、多様だ。堕胎、交通事故死、医療事故死、癌死、自殺、他殺、戦死、笑い死に、腹上死...そして殉職。だけど、死も、結局は、2パターン、脳死か心臓死か。少子化ばかり騒がれているが、高齢化ということは、多死化と同義だと言うことが忘れられてはいまいか?
酔っ払って書くと、脈絡がなくなる悪い癖。

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